ギリシャを望む城郭≪十月十二日≫ ―燦―CESMEと書いて、「ケスメ」と言ったり、「チェスメ」と聞こえたりする。 CESMEの街並みは、本当に小さな漁村と言うイメージだ。 ただ、普通の漁村と違う所は、この小さな漁村からすぐ近くに隣国の島が見え、ここから隣国に向けて定期的に小さな船が出ていると言う事だ。 そんな小さな漁村には、似合わない大きなホテルがあるのも、この漁村がこの時期では唯一、隣国であるギリシャに渡るルートだからなのかも知れない。 エーゲ海を望むと、ボンヤリとではあるが、はっきりと島らしき影が見える。 その島が、ギリシャ領である”CHIOS島”なのだろう。 その島に渡るために、ここチェスメに来たのだ。 チケットの日付は、14日となっている。 暫く、滞在することになる。 初めての贅沢をしてみたくなった。 日本を出て今まで、野宿や安宿ばかり捜し歩いてきた。 ゴールであるギリシャが今、目の前にある。 そのゴールであるギリシャ領の島影を見ながら、高級ホテルの窓際に建ってみる。 実に贅沢な望みではありますが、許してもらう事にしよう。 とは言っても、今日の今日。 小さな”Oteli”(ホテル)に泊まる事にした。 高級ホテルは、ゴールに飛び込む最後の日にとって起きたいではありませんか。 小さな広場からすぐの”IMRON Otli”(一泊30T.L.≒675円)が見える。 下がレストランに、二階がホテル。 108号室に通された。 小さなベッドが一つあるだけの部屋ですが、一人部屋で鍵もしっかりと施錠でき、ゆっくりできるという点では、申し分のないホテルだろう。 真っ白なシーツが目にしみる。 これなら、南京虫の心配も要らない。 * 1階のレストランで軽い食事を済ませた後、さっき見かけた城跡へ行く事にした。 どのくらい昔からだろうか・・・・エーゲ海に浮かぶギリシャ領である島を見つめ続けてきたこの城跡。 いつ頃から、今のような静寂な城跡になってしまったのだろうか。 多分、それまでは幾多の戦いを繰り返してきた事だろう。 重い甲冑を着込んだ兵隊達が、この白を闊歩していたに違いない。 今でも・・・甲冑を着込んだ兵隊の亡霊が彷徨っているのかも知れない。 入場料は1.0T.L.(22円)。 中世の姿が目の前に現れた。 何にもない城壁が横たわっている。 石積みだけが残っていて、屋根はない。 人は誰もいない。 その昔には、ギリシャとの交戦に重要な役割を果たしていたに違いない。 城壁に通じている石段を何千人もの兵隊達が通って行った事だろう。 傷ついた兵隊、死んでしまった兵隊達も運ばれて来たに違いない。 ポッカリと開いた穴が、中庭に咲いた草花が今にも、何かを語りかけてくれるようだ。 石段を登り、城壁の上にたつ。 小さな村が一望でき、海の向こうに”CHIOS島”が見える。 島は、エーゲ海にゆったりと浮かんでいる。 静かな海の佇まいを見せている。 一人だと思っていたら、トルコの青年に出会った。 暫く話をしたのだが、どんな話をしたのかは、今は覚えていない。 こういう歴史のある古い城郭で、一日中寝そべって青い空や青い海を眺めるのが、旅の一つの目的だったのだから、・・・・日本で夢見てきた事が、現実になったことを喜んでいる。 この世の幸せを、一度に背負ったようで・・日本にいる仲間にも味合わせてやりたい気分だ。 数時間前まで、下痢と戦っていたと言う事が嘘のようだ。 一時間ほど、雲の流れを見つめていただろうか。 時間だけが過ぎて行く。 太陽もエーゲ海も白い壁も赤い屋根も素朴な人も古い城壁も・・・私の期待を裏切るものなど一つも見当たらない。 観光ずれしていないのか、シーズンが終わってしまったのか、二人ばかりの旅行者を見かけただけだった。 この静寂が嬉しいではないか。 * 広場に戻り、エーゲ海の匂いを嗅ぎながら、カフェに座り夕日の沈むのをジッと眺めている。 足元にはエーゲ海の海の小さな波が音を立てている。 ギリシャ領である”CHIOS島”の山の頂きに夕日が落ちていく。 陽射しで海がキラキラと輝いている様は、たくさんの宝石箱をひっくり返したようで美しい。 底まで見える海。 多くの小さな小魚が群れをなして泳いでいるのも見える。 港には、時々白い漁船が白い筋を引いていく。 港の騒がしさや油の浮いた汚い海はここにはない。 明日はトルコ最後の夜になる。 そして、目的地であるギリシャに足を踏み入れる事だろう。 財布には、230T.L.(5175円)残っている。 明日は記念に、”ERTAN HOTEL”で一夜を過ごすことにしよう。 |